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なぜ職人会?
私は祖父と祖母に育てられた。
母親は妹を生んですぐ私が3歳の頃、交通事故で生死の境をさまよい3年ほど、病院に出たり入ったりしていました。
左官の親方だった祖父、仕事はリタイヤしていたけどいつも乗馬ズボン(職人がはいている、ひざ上はゆったりしていて、ひざ下からほくらはぎ足首まで締まっているもの)をはいていました。
祖父は、畑仕事をしたり庭木をいじったり、自分でそういった仕事をつくって汗を流していました。
そんな祖父が、私によく言ったのが、
「誠一、お前も職人にならないかんぞ。」ということ。
父は、左官の後をつがず鉄工所をやっていました。
カジ屋です。
建築用の鉄骨を作る仕事です。
もちろん職人です。
そして、母の兄が大工の頭領です。
母の実家へ行くと、仕事場には、きざみ途中の材木が所せましと積んでありました。
さらに母の姉が嫁いだ先が基礎をやっていました。
こんな環境で育ったのです。
高校を決める懇談でも、父の後をつごうと、工業高校の建築科を志望していました。
しかし、担任が進学校をすすめ、父も行けるなら行けよということで、普通科に進みました。
高校に入ると建築科という思いよりも、文系に進みたいという気持ちが強くなり、大学は経済学部に進みました。
経済学部を出て、就職は証券会社へと考えていたのですが、父親から帰って来いと言われ家業を手伝うことになりました。
当時、バブル景気の始まりでとても忙しかったのです。
しかし、小さな鉄工所に来てくれる人材もなく、手伝ってくれる働き出が欲しかったのでしょう。
工場での作業は、鉄骨を扱うので重労働です。
夏は暑いし、冬は冷え込む工場です。
剣道で鍛えてあったので、体力には自信がありましたが、運動とはちがった辛さがありました。
一日が終わると、体がくたくたでした。
鉄工所には、現場での作業もあります。
組み立てです。
仮ボルトで組んで建てていった鉄骨にボルトを入れたり、デッキプレートという床材をはったり、さび止めの塗っていない所に塗ったりの高所作業です。
私は、高所恐怖症でしたが、問答無用であがりました。
言っておきますが、この時、足場はありませんよ。
組んだ鉄骨にはしごをかけ、登っていって梁の上を命綱もつけず、歩くのです。
大学の時に、学んだ労働安全基準法などまったく関係ない世界がそこにありました。
2年ほど現場仕事をして、工場と現場と両方の仕事がわかった頃、原寸という仕事を覚えることになりました。
原寸工というのは、かじ屋の世界で、トビ、溶接工と並んで特殊技能のひとつです。
トビは、ご存じの通り、現場の花形です。
溶接は工場の、原寸工は原寸場の花形なのです。
原寸工がどんなことをするのかというと、柱や梁やその他の部品の寸法を出します。
また、それらを取り付けるためのプレートの型取りをします。
黒板の板をはった床の上に、ポスターカラーを含ませた糸をはじいて、実際の寸法(原寸)で建物の梁や柱、プレートの型をかいていきます。
ここで、間違えると材料が無駄になるばかりでなく、人件費も工期も、色々なところで損害が発生してしまいます。
最も責任のある職人である、と言っても過言ではありません。
私は文系でしたが、数学の図形や三角形関数あたりは得意な方でしたので、この仕事が楽しくてなりませんでした。
らせん階段や、寄せ棟のモヤなど、どうしてここまで合うんだと言われたこともありました。
他の鉄工所では難しくてできない物件の原寸だけ、超難しい形の建築物を実際に現場で組み立てられるよう、また工場で職人達が作れるようにして部品をかいていくのは、難解なパズルを解いていくのにも似ており、毎日の仕事にワクワクしていました。
cadも鉄工所の中では割と早い時期に導入し、原寸場を歩かなくてもいいので、仕事のスピードアップと正確さに感動しました。
原寸工としての仕事を、10年ほどしたでしょうか。
非常に難しい形の建物、階段、屋根、そういうものを作れるような型を取ることが、つまらなくなってしまいました。
階段屋が、極太鉄パイプでできた二重ラセン構造の階段を、こんなのどうやって割り付けして曲げ方を決めたんだ?言ったり、トビが寄せ棟の一番はしの角まで、ボルトがぴったり取れたのは、はじめてだと言ってくれたり、そんなことでは満足できなくなってしまったのです。
住宅であれ、ビルであれ鉄骨は下請け仕事です。
住宅なら、時々施主さんと会うこともありますが、ビルや工場、倉庫ではまず会えません。
ましてや自分の作ったものに対して、喜んでもらえないというのがどうしようもなくさびしく感じられるようになってしまったのです。
原寸以外でも、鉄骨の仕事にはきびしい検査があります。
他社は、どうだかわかりませんが、この時に、鉄骨の溶接部には100%超音波によるキズのチェックをしていました。
溶接は、別々の部品の間に、金属を使ってつなぎ止めるのですが、溶融金属によって完全に溶け込んでいないと強い力が加えられた時、割れてしまいます。
鉄の内部に溶け込み不良がないか調べるのです。
このように、どんなに良い仕事をしても、他の職人からウデをほめられても、建て主が喜んでいる姿が見えないというのが、どうしようもなく仕事のやりがいをうばっていきました。
自分で、直接、建て主の喜ぶ顔が見たい、自分の仕事に喜んでほしい。
私が独立してやりはじめた理由はここにあります。
会社の名前を考えた時、大好きだった祖父の言っていた、
「誠一、お前も職人にならないかんぞ。」
その言葉がどうしても私の頭からはなれなかったのです。
そして、自分が一流の原寸工だというほこりもあります。
もちろん現役です。
だから、岐阜建築職人会という社名にしました。
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